8/1に殿堂掲額者が発表された。
加茂周さんと今井恭司さん。
加茂さんは関学~ヤンマー(選手・コーチ)~日産(監督)~日本代表監督
ひと。ライバル「読売クラブ」に半歩でも前にでるという方針でチーム強化
した話は印象的であった。
今井恭司さんもJSL時代からのサッカーを取材してくれたカメラマン。
もちろん、フィルム時代。今みたいなデジタルで撮れるわけでもないので
重い機材と高いフィルムと腕でサッカー界を支えて下さったひと。
お二人の本。
第14回日本サッカー殿堂 掲額者決定のお知らせ
2017年08月01日
投票選考の結果は下記の通りです。これにより、日本サッカー殿堂(日本サッカーミュージアム内地下1階)に掲額された方々の総数は、今回を加え75名と1チームとなります。
掲額式典は9月10日(日)13:00(予定)よりJFAハウスの日本サッカーミュージアム内ヴァーチャルスタジアムで開催する予定です。
特別選考(2名)
加茂 周(かも しゅう) 1939年10月29日生
1974年に日産自動車(現在の横浜F・マリノス)の監督に就任し、神奈川県リーグ1部から日本チャンピオンにまでチームを育て上げ、1988/89年シーズンには日本サッカーリーグ、JSLカップ、天皇杯優勝の三冠を達成した。その後も、日本代表やJクラブの監督を歴任した。チームを数多くのタイトルに導くと同時に、チームづくりにおいても手腕を発揮し、「チームマネジメント」の重要性を日本サッカー界に浸透させた。日本人指導者初の「プロサッカー監督」として、「世界に通じるサッカー」を模索しながら、長きにわたり第一線で活躍した。
1974年に日産自動車(現在の横浜F・マリノス)の監督に就任し、神奈川県リーグ1部から日本チャンピオンにまでチームを育て上げ、1988/89年シーズンには日本サッカーリーグ、JSLカップ、天皇杯優勝の三冠を達成した。その後も、日本代表やJクラブの監督を歴任した。チームを数多くのタイトルに導くと同時に、チームづくりにおいても手腕を発揮し、「チームマネジメント」の重要性を日本サッカー界に浸透させた。日本人指導者初の「プロサッカー監督」として、「世界に通じるサッカー」を模索しながら、長きにわたり第一線で活躍した。
今井 恭司(いまい きょうじ) 1946年1月11日生
1972年に行われた、元ブラジル代表のペレを擁するサントスFCと日本代表の試合を撮影したことをきっかけに、フリーランスとして日本代表戦や国内リーグ戦などサッカーの試合写真を撮り、『サッカー・マガジン』(ベースボール・マガジン社)をはじめとした数々のメディアにおいてサッカーの魅力を伝え続けてきた。日本のサッカーカメラマンの草分けであり、同時に第一人者である。約半世紀にわたり、「写真」という分野を通じて日本代表をはじめとした日本のトップチームとファンをつなぎ、サッカー界の発展に寄与した功績は大きい。
1972年に行われた、元ブラジル代表のペレを擁するサントスFCと日本代表の試合を撮影したことをきっかけに、フリーランスとして日本代表戦や国内リーグ戦などサッカーの試合写真を撮り、『サッカー・マガジン』(ベースボール・マガジン社)をはじめとした数々のメディアにおいてサッカーの魅力を伝え続けてきた。日本のサッカーカメラマンの草分けであり、同時に第一人者である。約半世紀にわたり、「写真」という分野を通じて日本代表をはじめとした日本のトップチームとファンをつなぎ、サッカー界の発展に寄与した功績は大きい。