【蹴球亭】サッカー感戦家 日本代表サポーター&FC東京SOCIO

2019.09.01ヤフーブログから引越ししたサッカー三昧のブログです。

【チョーディン】⑦「ボールを蹴って50年」

ボールを蹴って50年」 神戸一中ア式蹴球部 神戸高校サッカー
 
1966年(昭和41年)6月5日発刊 神中サッカー・クラブ編集兼発行者
 
(非売品)です。
 
編集委員が豪華で大谷四郎(神中37回) 賀川浩(神中43回)
 
岩谷俊夫(神中43回) 岡島昌彦(神高10回) 有野康正(神高12回)。
 
チョーディンの記述は何ヵ所か出てくる。
 
P41 大正12年度 宿願達した初の優勝に「チョーディン氏のコーチ」という
 
一項がある。
 
P48に「第一回黄金時代はどうして生まれたか」の中にチョーディン氏の
 
コーチ
 
 チョーディン氏はビルマ人で、当時早稲田大学のコーチをしていた由だ
 
が、丁度御影師範がこのコーチを招いて一週間位教えを受けた事が
 
あった。そのチョーディン氏を範多先輩などが宝塚歌劇に招待したついで
 
に(計画的に?)宝塚のグランドで一中のサッカー部を半日ばかりコーチ
 
してもらったのである。それまでわれわれは先輩たちの掛声に追い廻され
 
るように、我武者羅に走り蹴り滑っていたのだが、チョーディン氏コーチに
 
よっていろいろな基礎プレーの型を教わった。インステップ・キック、サイド・
 
キックなどのキックの基本、正面タックル、スライディング・タックルなど基本
 
ショートパス、スルーパスなどのパスの基本、等々を理論整然と教わった
 
のであった。僅か半日のコーチではあったが、以後われわれは懸命にこの
 
基本の型を見につけたのである。持ち前の器用さに熱心な研究と修練は
 
折角チョーディン氏を招いた肝心の御影師範以上にその基礎プレーを
 
マスターし、やがてこの「ミカゲ」を見事倒したのである。後年サッカー界
 
恐れられた「神戸一中のシュートパス戦法」はかくして生まれたのである。
 
ここで私が強調したいのが僅か半日のコーチであっても、受ける方にその
 
素質と真剣な研究心と、そしてたゆみなき鍛錬を行う意志があれば、
 
目的の完遂も決して不可能ではないという事である。以下略・・・
 
 
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