2017.01.15に木之本興三さんがお亡くなりなったとのニュースが届いた。
【木之本興三さんの略歴】
1949(昭和24)年1月8日生まれ(享年68歳)。
(社団)日本プロサッカーリーグ理事、ジェーリーグ映像・ジェーリーグ
フォト・ジェーリーグエンタープライズなどの社長歴任。
26歳でグットバスチャー症候群を発症し、腎臓摘出。透析と仕事を続け
両足を失いながらも日本サッカー発展に大いに貢献されたひとである。
【著書】
『日本サッカーに捧げた両足 「真実のJリーグ創世記」 』
ヨシモトブックス 2013.07.13発行
ISBN978-4-8470-9165-0 c0095 ¥1619E
定価 1619+税。
辞めてくれ』と言われたことやそれを川淵JFA会長(当時)に復職のお願いに行ったら『許さない』を繰り返されたことなど。。。
それを巻頭で『「おい、木之本。それ違うぞ」「お前の誤解だ」「木之本さんんの思い違いですよ」。そう言われたら何の言い訳もしないで「ごめんなさい」と謝るしかない』と書かれている。
きっとめんどうな裁判や訂正・出版差し止めなどをされないようなお考えではなかったかと思う。
【大学の部史に登場する木之本氏】
東京教育大学サッカー部史1974(昭和49)年2月10日発刊
昭和47年度卒業名簿一覧にお名前があります。
茗渓サッカー百年 筑波大蹴球部編
1996(平成8)年5月6日発行。
P181~P182に木之本氏が『昭和46年度-中大との相性-』をきままに思い出話と自身の決意を書かれている。
あのひと、あのとき エピソードで綴る 筑波大学蹴球部の120年
2016(平成28)年11月20日発行。
Jリーグの訃報の記事
元Jリーグ専務理事 木之本 興三氏 ご逝去のお知らせ
2017年1月15日15時38分、元Jリーグ専務理事の木之本興三氏がうっ血性心不全のため千葉大学医学部附属病院にてご逝去されました。ここに故人の生前のご功績を偲ぶとともに、謹んでお悔やみを申し上げます。
木之本氏は日本サッカーリーグ(JSL)事務局長や総務主事を歴任され、日本サッカーのプロ化に尽力されました。またJリーグ設立後も、社団法人日本プロサッカーリーグ常務理事(在任期間:1991年11月1日~1998年7月21日)や専務理事(在任期間:1998年7月21日~2003年8月31日)のほか、ジェイリーグ映像株式会社、ジェイリーグフォト株式会社、株式会社ジェイリーグエンタープライズ社長などを歴任されました。ご逝去の訃報に接し、以下のとおり、村井満チェアマンのお悔やみの言葉をお伝えします。
「突然のご訃報に接し、いまだに信じることができません。一昨年に対談取材でJFAハウスにお越しいただき、Jリーグや日本サッカーの未来について熱く語り合った記憶がまだ鮮明に残っています。木之本さんは日本サッカーリーグ時代から日本サッカーのプロ化の先鞭をつけ、最前線で奔走されました。木之本さんがいなければ今のJリーグの姿はありませんでした。木之本さんが安心してお休みになられますよう、全ての関係者が力を出し合い、Jリーグの理念の実現と日本サッカーのさらなる発展に尽くしたいと考えております。心からのお悔やみを申し上げます。」
Jリーグ チェアマン 村井 満
最後にちょっと不満なのは本家の日本サッカー協会が何もリリースしない
おなじ『こうぞう」というお名前だから先人の意思を少しでもくんでくれたらと思う。。。。木之本さん安らかにお休み下さい。一度しっかりお話を聞いておかなければいけなかった人がまた逝ってしまった。合掌。