http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170203003663_commL.jpg日本サッカー協会元会長の岡野俊一郎さん=2010年
 日本サッカー協会会長や国際オリンピック委員会(IOC)の委員などを務め、スポーツ界の発展に尽力した岡野俊一郎(おかの・しゅんいちろう)さんが2日、死去した。85歳だった。
 東京都出身で、サッカー選手として東大で活躍した後、日本代表でもプレー。1964年東京五輪、68年メキシコ五輪では長沼健監督の下で日本代表コーチを務めた。メキシコ五輪では銅メダル獲得に貢献した。その後、日本代表監督を経て、日本サッカー協会の理事、副会長、会長を歴任した。日本と韓国の共同開催となった2002年ワールドカップ(W杯)では招致の際に実行委員長を務め、同年のW杯では協会の会長として大会を成功へと導いた。
 また、日本オリンピック委員会(JOC)では総務主事と専務理事を務め、90年からはIOC委員も務めた。2012年には文化功労者に選ばれた。

日本サッカー協会 岡野俊一郎相談役 逝去のお知らせ
2017年02月03日
   
   

2017年2月2日(木)、22時56分、日本サッカー協会JFA)第9代会長で、現在、相談役の岡野俊一郎が肺がんのため、都内の病院で逝去しました。享年85歳。ここに故人の生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
日本サッカーとスポーツの発展に力を尽くす
岡野相談役は旧制中学からサッカーを始め、東京大学サッカー部でプレー。1953年、現在のユニバーシアード競技大会である西独ドルトムント国際大学スポーツ週間に出場し、1955年には日本代表に選出されました。引退後は指導者として活動。1964年の東京オリンピックでコーチ兼通訳を務め、68年のメキシコオリンピックではコーチとして、銅メダル獲得に力を尽くしました。サッカー指導の傍ら、NHKテレビ東京(「三菱ダイヤモンドサッカー」)の解説者としてサッカーの魅力や価値を多くのファンに伝えるなど、サッカーの情報発信にも尽力しました。日本サッカーリーグJSL)の創設にも関わり、1991年にはJリーグの理事に。1987年にJFA副会長に就任し、2002年FIFAワールドカップ招致に尽力。1998年にJFA会長に就任し、FIFAワールドカップ日韓大会を成功に導きました。
日本オリンピック委員会JOC)や日本体育協会の役員を務め、1990年には国際オリンピック委員会IOC)の委員に就任。サッカーのみならず、スポーツ界全体の発展に力を注ぎました。これらの功績が評価され、2004年には旭日中綬章を受章、2012年には、日本のスポーツ界では8人目となる文化功労者に選ばれました。
逝去の訃報に接し、以下の通り、JFA田嶋幸三会長、川淵三郎最高顧問、小倉純二最高顧問、大仁邦彌名誉会長のお悔やみの言葉をお伝えします。

お悔やみ

田嶋幸三JFA会長
昨年11月末に岡野さんからご連絡をいただき、入院されている病院に行きました。これまでのサッカーの話やこれからのこと、本当に色々なお話を伺いましたが、ご自分の死期を意識されているような話しぶりで、一抹の寂しさを感じました。若い頃、サッカーの勉強をしていると、必ず、岡野さんが訳された文献にあたり、岡野さんのお名前を見る度、日本サッカーの国際的な窓口であり、広く世界に扉を開いている方だと思っていました。今頃、クラマーさん、長沼さん、平木さんと天国で会っているのかもしれません。心からのご冥福をお祈りします。
川淵三郎JFA最高顧問
東京オリンピックメキシコオリンピックともにクラマーさんの教えは全て岡野さんを通じて、我々選手に伝えられました。そういう意味で、“日本サッカーの伝道師”と言えるでしょう。サッカー以外にもIOCJOCの要職を務められ、また、教育にも携わるなど幅広く活動されました。日本サッカーの誇りというべき方でした。謹んでご冥福をお祈りします。
小倉純二JFA最高顧問
デッドマール・クラマーさんを招へいしたときから、岡野さんは長沼健さん、平木隆三さんとタッグを組み、日本サッカーの躍進に力を尽くされました。JSLの創設にも携わられたわけですが、JSLがなかったらJリーグもできなかったわけで、岡野さんは、まさに日本サッカーの黎明期を支え、日本サッカーの基礎を築いた偉大な方です。心からの感謝を申し上げます。
大仁邦彌JFA名誉会長
メキシコ大会後にスタートした『ダイヤモンドサッカー』は岡野さんの代名詞であり、サッカーの普及に大きく貢献しました。岡野さんの後を引き継ぐ際、岡野さんの解説があまりに評判がよかったため、大きな重圧を感じましたが、岡野さんの後を継ぐことができたことは光栄でした。日本サッカーにとってかけがえのない方でした。ご冥福をお祈りします。

岡野俊一郎 略歴

1931年8月28日 東京都出身
1957年3月 東京大学文学部心理学科卒業
スポーツ役員歴
1960年~ 日本ユース代表監督
1963年~1969年 日本代表コーチ
1969年~1971年 日本代表監督
1967年~1987年 財団法人日本サッカー協会JFA)理事 ※1974年に財団法人化
1975年~1977年 財団法人日本体育協会日本オリンピック委員会常任委員
1975年~1991年 財団法人日本体育協会理事
1977年~1989年 財団法人日本体育協会日本オリンピック委員会総務主事
1987年~1998年 財団法人日本サッカー協会副会長
1989年~1991年 財団法人日本オリンピック委員会JOC)専務理事
1990年~2011年 財団法人日本オリンピック委員会JOC評議員
1991年~2012年 財団法人日本オリンピック委員会JOC)理事
1991年~1996年 2002年ワールドカップ日本招致委員会委員
1994年~1996年 2002年ワールドカップ日本招致委員会実行委員会委員長
1994年~1998年 アジアサッカー連盟AFC)技術委員
1995年~2008年 国際サッカー連盟FIFA)オリンピックトーナメント組織委員会委員
1996年~1997年 2002年ワールドカップ開催準備委員会委員
1997年~1998年 財団法人2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会理事
1998年~2003年 財団法人2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会副会長
1998年~2006年 国際サッカー連盟FIFA)ワールドカップ組織委員会委員
1998年~2002年 財団法人日本サッカー協会会長
2002年~2008年 財団法人日本サッカー協会名誉会長
2008年~2016年 財団法人日本サッカー協会最高顧問 ※2012年より公益財団法人
2012年~ 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議員
2016年~ 公益財団法人日本サッカー協会相談役

*組織名は、就任当時のものです。

岡野さんといえばオールドファンはもうこれです。岡野さんの解説を自分で

みたかのように言い直す伝説の番組。

イメージ 1

ダイヤモンドサッカーのおCDと
「ダイヤモンドサッカー」の時代
エクスナレッジ 2000円+税 2008年2月25日。

イメージ 2
世界サッカー史 歴史・スター・戦略
オルドジェフ・ジェルマン:著 大竹國弘:訳
監修:岡野俊一郎/鈴木武士/牛木素吉郎
ベースボール・マガジン社 9500円 1977年4月10日

イメージ 3

雲を抜けて、太陽へ!
東京新聞 1,333円+税 2009年8月30日

イメージ 4

サッカー 戦術とチームワーク 
FOOTBALL TACTICS AND TEAMWORK
チャールズ・F・C・ヒューズ:著 岡野俊一郎:訳
ベースボール・マガジン社 1,500円 1974年8月31日

イメージ 5

旺文社Jスポーツシリーズ J(ジュニア)サッカー
岡野俊一郎:監修 佐藤祐治:著
旺文社 874+税 1995年4月20日

イメージ 6

サッカー  旺文社スポーツ教室
旺文社 左1971年4月15日 280円 右1976年10月1日改定版

イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
サッカー
鶴書房 上550円 中350円 下600円。

イメージ 10
イメージ 11
コーチのいない君のためのサッカー・ベスト・コーチ
アラン・ウエイド:著 岡野俊一郎:訳
ベースボール・マガジン社 上1000円 下800円。

イメージ 12

実戦 サッカーナンバーワン

イメージ 13
イメージ 14
サッカーのすすめ
講談社 260円。この1冊だけサインを戴きました。