サッカー史勉強会&観戦お仲間の「九龍蹴志郎」さんから下記の情報メールが入った。
70年代のサッカーで活躍していたので気になっていた。
郡司 一美さん 元サッカー日本代表選手 享年58歳 2009年10月01日 (ぐんじ・かずみ) すい臓がんにより東京都杉並区の病院で他界。
静岡市出身。
■葬儀・告別式
3日午後2時から杉並区和田1の40の5
「救世軍ブース記念病院内の教会」にて。
喪主は妻の良子(よしこ)さん。
■略歴
Jリーグ1部・浦和の前身である三菱重工で、
70年代に選手としてプレイ。
日本代表として国際Aマッチ16試合に出場。
高田一美さん
藤枝東高校~日本大学(中退)~三菱重工。
俊足ウインガーだった。
日大を中退する際、(杉山隆一さんを慕い、三菱に行きたいため?)ちょっと物議をかもした。
永井×高田のライバルであったが、途中からは永井が代表・JSLで活躍したが高田はしまいに
サッカー界から消えてしまった。
昨年、埼玉サッカー100周年式典のあとレッズの関係者(三菱時代からの)人に高田さんはどうして るの?と聞いたところ婿入されてという話までしか聞けなかった。
特にサッカー史で記憶に残っているのは1971年の第13回アジア・ユース大会(東京開催)
の死闘の韓国戦でしょう。0-0延長でも0-0、日本初のPK戦で7番目の高田が外し韓国が入れて
5-6で敗退してしまう。そして次ぎのビルマ戦でも敗れ4位に終わった大会です。。。。
ご冥福を祈ります。合掌。