1977年(昭和52年)1月15日発刊
目次のすぐ後、P1~P3にWMW会長あいさつ「輝かしい50年史を祝う」
として玉井操氏が書かれていていきなり(前略)~
『この年の4月から、ビルマ人モン・チョウ・ディン氏をコーチとして
迎えたのである(中略)
このチョウ・ディン氏のコーチで、今日早大の基礎が出来たのみならず、
これがたちまち日本全国に広がり、日本サッカー近代化へと大きく
前進したといっても過言でなく、日本サッカー中興の恩人と称しても
よいと思う』
そしてP20~通史 「早稲田サッカー50年の歩み」 堀江忠男氏が
Ⅰ草分け時代
インタ・ハイ優勝とチョウ・ディンのショート・パス戦法
(前略)「しかし、それよりも早稲田サッカーの歴史にとっておおきな意味を
もったのは、ビルマ人チョウ・ディンをコーチに招いたことだろう。それまで
英人教師デ・ハビランドの指導を受けた)を中心にその卒業生が全国に
ひろめたのが主流で、戦法の基本的な特徴は両FB(当時は2FB制)の
ロング・キックとタッチ・ラインぞいのウィングの走り込み、センタリングを主
とする古典的なものであった。それに対して、チョウ・ディンは、
同じく英国流ではあるが、もっと近代的なショート・パス戦法を主とする
サッカーを教えてくれたのである。
早高チームはこれを習得したおかげで、大正12年に始まった第1回全国
高等学校大会(通称インタ・ハイ)に優勝し、翌13年にも連続優勝した。
これがひとつのきっかっけとあんり、チョウ・ディンがひろく全国各地の
チームをコーチしたこともあって、日本のサッカーは第1次近代化への
途を歩みはじめたといえよう。なお彼は大正12年に「早稲田高等学院
フットボール・コーチ」という肩書で“HOW to play Association Football”
という本を出している。(後略)