【蹴球亭】サッカー感戦家 日本代表サポーター&FC東京SOCIO

2019.09.01ヤフーブログから引越ししたサッカー三昧のブログです。

【チョーディン】③早稲田大学ア式蹴球部50年史

 
1977年(昭和52年)1月15日発刊
 
目次のすぐ後、P1~P3にWMW会長あいさつ「輝かしい50年史を祝う」
 
として玉井操氏が書かれていていきなり(前略)~ 
 
『この年の4月から、ビルマモン・チョウ・ディン氏をコーチとして
 
迎えたのである(中略)
 
このチョウ・ディン氏のコーチで、今日早大の基礎が出来たのみならず、
 
これがたちまち日本全国に広がり、日本サッカー近代化へと大きく
 
前進したといっても過言でなく、日本サッカー中興の恩人と称しても
 
よいと思う』
 
 
そしてP20~通史 「早稲田サッカー50年の歩み」 堀江忠男氏が
 
Ⅰ草分け時代
 
インタ・ハイ優勝とチョウ・ディンのショート・パス戦法
 
(前略)「しかし、それよりも早稲田サッカーの歴史にとっておおきな意味を
 
もったのは、ビルマ人チョウ・ディンをコーチに招いたことだろう。それまで
 
日本のサッカーは、東京高師(現在の東京教育大学明治38年以降、
 
英人教師デ・ハビランドの指導を受けた)を中心にその卒業生が全国に
 
ひろめたのが主流で、戦法の基本的な特徴は両FB(当時は2FB制)の
 
ロング・キックとタッチ・ラインぞいのウィングの走り込み、センタリングを主
 
とする古典的なものであった。それに対して、チョウ・ディンは、
 
同じく英国流ではあるが、もっと近代的なショート・パス戦法を主とする
 
サッカーを教えてくれたのである。
 
 早高チームはこれを習得したおかげで、大正12年に始まった第1回全国
 
高等学校大会(通称インタ・ハイ)に優勝し、翌13年にも連続優勝した。
 
これがひとつのきっかっけとあんり、チョウ・ディンがひろく全国各地の
 
チームをコーチしたこともあって、日本のサッカーは第1次近代化への
 
途を歩みはじめたといえよう。なお彼は大正12年に「早稲田高等学院
 
フットボール・コーチ」という肩書で“HOW to play Association Football”
 
という本を出している。(後略)
 
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