日本サッカー協会は18日、元日本代表の浅岡朝泰(あさおか・ともやす)氏が10月6日に死去したと発表した。59歳だった。葬儀は親族のみで執り行われた。 東京都出身の浅岡氏は筑波大を経て、1985年から日本鋼管サッカー部で活躍。87年には日本代表に選出され、ソウル五輪予選など計8試合に出場した。FW、MF、DFとして88年から読売クラブでプレーしたが、92年に右足じん帯を負傷し、93年に現役を引退した。 2003年には帝京大可児高の総監督に就任したが、04~07年に大腸がんのため闘病生活を送った。その後はFC堺の監督などを務めた。
報知新聞社
浅岡朝泰(あさおか ともやす)氏は1962.04.06~2021.10.06(享年59歳)
創価高校~筑波大~日本鋼管~読売クラブ~フジタで活躍。
日本鋼管(NKK)1985~1988 JSL63試合6得点30アシスト
読売クラブ1988~1991 JSL39試合2得点5アシスト
フジタ1992 JSL 不明
日本代表25試合Aマッチ8試合 3得点(Aマッチ0得点)
右サイドを独特な姿勢でドリブル突破が持ち味でした。
ご冥福をお祈りいたします。。。