メキシコオリンピック胴メダルのキャプテン八重樫さんがおなくなりになった。
サッカー史研究会に一度ゲストでおいで下さりお話を伺えた。
伝説になっているメキシコ五輪でケガしたあと後輩の洗濯を買って出た話や釜本さんとのパス交換で
ボールを拾いに行かせた話しを生で聞けたのは宝物の時間だった。
ご冥福を祈り、合掌。。。
サッカー協会のHP
http://www.jfa.or.jp/jfa/topics/2011/76.html
2011/05/03訃報連絡
元日本代表選手で、日本サッカー殿堂掲額者でもある八重樫 茂生(やえがし しげお)氏が、脳梗塞のため、2011年5月2日13時10 分、多摩市・日本医科大学多摩永山病院にて永眠されました。
通夜・葬儀などは下記の通り執り行われますので、故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。
八重樫 茂生氏略歴
1933年3月24日、岩手県生まれ。
元日本代表選手(国際Aマッチ44試合出場11得点)
1970年日本ユース代表監督
県立盛岡第一高校、中央大学、早稲田大学を経て、古河電工入り。
中央大学在学中、関東大学リーグ新人王を獲得。その後、郷里の先輩である工藤孝一氏が監督をつとめる早稲田大学に編入。当時学生ナンバーワンといわれた早稲田大学の数々の勝利に多大なる貢献をする。
JSL(古河電工)では、51試合出場、14得点を記録。年間優秀11人賞3回受賞。1963年度年間最優秀選手賞受賞。
早稲田大学在学中に日本代表入りし、第16回オリンピック競技大会(1956/メルボルン)に出場。その後、同第18回大会(1964/東京)、同第19回大会(1968/メキシコシティー)と、オリンピック3大会出場を果たす。メキシコ大会では主将をつとめ、精神的支柱としてチームに銅メダルをもたらした。また、第3回アジア競技大会(1958/東京)、同第4回大会(1962/ジャカルタ)、同第5回大会(1966/バンコク/3位)にも出場。Aマッチ出場44試合、11得点。
1967年、古河電工監督。1973年から富士通の指導にあたり、富士通サッカー部の基礎を固めた。
1969年にはFIFAコーチングスクール(千葉)で、スクールマスターのD.クラマー氏の助手をつとめる。
1970年日本ユース代表監督。
■通夜式: 5月5日(木)18時00分より
■葬儀/告別式: 5月6日(金)10時30分より
■式場: 吉祥院アバホール
東京都多摩市豊ヶ丘1-51-2
Tel. 042-374-3123
■喪主: 八重樫幹夫(やえがし みきお)長男