【安田一男の訃報】と六川亨さんの記事を知らべてみた。
安田さんは1933(昭和8)年2月7日生まれで安田靴店の2代目で早大学院から早大(政経学部)を経ていすゞに勤めてから実家の安田に入社。
早大ア式蹴球部のコーチ・監督を務める。また1959年~1983年1級審判(内1966年~1981年国際審判)も務める。東京都サッカー協会理事長1997年~2000年、財団法人東京都サッカー協会会長を2000年~2009年。2015年旭日双光章叙勲。
安田さんの訃報は六川亨さんの上記の記事で知る。ちょっと曖昧な釜本さんの内容だったので調べてみた。1981年、釜本さんのJSL通算200ゴールが話題になっていた。それで六川さんは釜本さんの得点にならなかったシーンで主審が安田さんだったのを書かれている。会場が三ッ沢だったので対戦相手が古河電工だったとしているが調べたら1981年JSL・11節1981年10月7日(水:夜間)@三ッ沢で主審安田一男の試合がありました。しかし対戦相手はフジタでした。。。フジタ対ヤンマー0対0。
その後無事に釜本さんは200ゴールを達成
それと安田(YASUDA:会社)さんの記事を探してみた。
サッカー批評ISSUE 18&20&36で河崎三行さんが書かれている。
安田さん ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。